萬人子守地蔵尊とは

萬人子守地蔵尊は福島県二本松(旧岩代町)小浜字反町にある子供の健やかな成長を祈願するための寺院です。伊達政宗の父・伊達輝宗がこの地の城主だった際に、厚く信仰していたといいます。600年以上の歴史があり、「奥州唯一の子どもの守護神」として多くの方々にご信仰いただいております。

小浜のお地蔵様

これは、この地に伝わるむかし、むかしのお話です。

 小さなお堂の中に木彫りのお地蔵様がたっていたそうです。このお地蔵様には不思議な力があるとされ、小浜では家族が病を患った際には、お地蔵様を自宅にお借りし回復を祈祷したといいます。
 また、お堂には扉がなく、子供達は毎日お堂からお地蔵様をだして一緒に遊んでいたそうです。それが嬉しいからか、お堂は立派ではないけれど、お地蔵様はいつもにこにこ人々を見守っていたそうです。ある日のことです。この日も子供達はお地蔵様を川岸まで連れ出し、一緒に遊んでいたそうです。
 ところが 、急に雷雨が降ってきたので、子供たちはお地蔵様を川岸においたまま家へ帰ってしまいました。雨はなかなかやまず、川の中がいっぱいになりました。そしてついに、溢れた川の水でお地蔵様は流されてしまったのです。

 何日も何日も流され続けたお地蔵様はやがて、荒浜(現在の宮城県)に流れ着きます。荒浜の人々はこれを見つけて、大切にするようになります。
 一方、お地蔵様のいなくなった小浜は大変です。疫病が流行りだし、子供達の怪我も増えました。「こんな時に、お地蔵様がいてくれたら……」人々は空っぽのお堂にお花を添えながら、お地蔵様のことを想いました。
 やがて、この小浜の出来事が荒浜にも伝わります。荒浜の人々は、自分たちが祀っていた木のお地蔵様に小浜と彫られているのを見つけ、お地蔵様を返してあげることにしました。
 荒浜の人々の手を借りて小浜に帰ってきたお地蔵様。荒浜で「小浜に帰りたい、小浜に帰りたい」と泣いていたお地蔵様は大喜び。すると、不思議なことに疫病は収まったのです。このことから、小浜の人々はお地蔵様を改めて祀り、子供の安全と健やかな成長を祈るお地蔵様として現在も大切にしているのです。

△形を変えたお地蔵様(御本蔵)は長い月日で出来上がった「自然のお姿」です。

 

 なお、荒浜では、小浜にお地蔵様を返したあとも、新しく石の地蔵尊を彫り、改めて「浪切地蔵尊」として祀っています。地域の安全や子どもの健やかな成長と海上の安全を願う象徴として、そして地域の人々に親しまれているそうです。東日本大震災では大きな被害を受けましたが、地元の方々の熱い信仰心のおかげで現在は修復され、現在も荒浜の地を護っています。 

 ※言い伝えには諸説あります。